第217話から第220話までの担当者紹介!


皆さま、初めましてこんにちは。
某外資系エアラインで乗務して約1年になる ちっぽ と申します。
人生で初めて就いた仕事がキャビンクルーなのでまだまだ未熟者ですが、
どうぞ4週間お付き合いよろしくお願いします。

 

第217話理想と現実 -  20 Oct .2005-


私がキャビンクルーという仕事を夢見るようになったのは
17歳の頃からです。その時に初めて飛行機に乗り、
初めて外国の地に足を踏み入れたのです。

元々英語と人と接することが好きでした。
空を飛ぶ乗り物の中で、世界を股にかけて、
外国人と接することの出来る仕事。
これこそが私の成りたい仕事だ、と思ったのです。

その為に選んだ大学時代選んだアルバイトはウェイトレス。
人と接することから様々なことを学ぼうと思いました。
笑顔と体力には自信有。ウェイトレスをしながら
「いつかはキャビンクルーの仕事を」と、上空で飛ぶ
飛行機を眺めては決意を新たにしていました。
そう思い続けて7年目のある日、夢が叶いました!!

外資系エアラインで働く為ベースが外地となりました。
生まれて初めて親元を離れ、これから始まる新しい生活への
期待に胸を膨らませ、外国に引越しをしてきました。
「あぁこれから大好きなサービス業が出来る」
「どんなサービスマナーを教えて頂けるのだろう」と。

しかし、訓練を受け始めてすぐに、この仕事はただの
サービス業ではない!ということが発覚したのです。
飛行機には案外病人が出るため(よく考えてみれば何百人という
お客様が乗ってらっしゃるのですから当然と言えば当然ですが・・・)、
そのような場合は看護師のよう。
機内で起こりうる病状の対処方法の訓練を受けました。
まだ乗務して約1年というのに、何人ものお客様の‘吐き物’を処理し、
気絶をされたお客様に酸素をあてることも経験しました。

また、緊急事態の際には安全にお客様を非難させる緊急隊員。
緊急事態も様々で、胴体着陸、水中着陸、オーバーラン、火事、
急激な減圧、乱気流、ハイジャックなどなど。
そして機長の指示により、お客様に手錠をかける際は婦人警官?!
それぞれの緊急事態に備え、それぞれの訓練を受けました。

さらには、小さな子供の世話をさせていただく際には、
一緒になって遊ぶなどして保育士のようであり、手袋をつけて
トイレ掃除をする姿は、掃除婦のようでもあります。
私の見解からすると、一般的なキャビンクルーのイメージである、
‘スカーフとエプロンと笑顔で、お食事とお飲み物のサービス’という姿は、
上記のもの全てを基礎にしたものの上に成り立っているように思えます。

急病人が出た場合であれ、緊急事態が発生した場合であれ、
ご機嫌を損ねたお客様がいらした場合であれ、落ち着いて
対処出来ることを前提に、サービスが行なえると思うのです。
そして私の思うキャビンクルーのサービスとは、お食事やお飲み物の
サービスと上記に挙げたものを包括し、「私達はどんな状況も安全に
対処します。安全ですよ」というもの全てが含まれていると思うのです。
つまり、キャビンクルーとは‘何でも屋’ であり、かなりタフな
人々なのであります。

「サービス業が好きです」「人と接するのが得意です」と様々な
エアラインの面接で言い続けても合格できないとすれば、
もしやそのせいなのでは?と思うこともあります。

「‘何でも屋’に成れます!」と言えば、
案外あっさりとこの業界に入れるのかもしれませんね(笑)

 


 


 

第218話狭くなってしまった世界 -  20 Oct .2005-


キャビンクルーを始めるまで、海外旅行なんて人生の
一大事だと思っていました。 パスポートがなければ
旅行できないし、旅行のためにお金、しかも大金を
せっせと貯金しなければならないし、旅行日数のお休みを
確保しなければならないし、長時間飛行機で
長距離移動しないといけなし。。。

しかし、この仕事を始め、毎週のように地球を西へ東へ、
北へ南へと飛び回ってい ると、外国と外国との間の
距離感覚がおかしくなってきたのです。
自社便は勿論のこと、他社便の航空チケットも
かなり安く購入出来てしまうので、海外旅行が
ちょっとした列車旅行のような感覚になってしまったのです。

また、まとまった休みが頻繁に取れるため、
旅行がいとも簡単に出来てしまうのです。  
私は少し休みが出来ると、フライトの後にそのまま
日本行きの飛行機に乗って実家 に帰ってしまいます。
周りのキャビンクルーも、日本に「歯医者に行ってくる」とか
「ちょっと〜に会いに帰ってくる」とか「美容院に行ってくる」
という具合に”ちょっとそこまで”感覚で日本をちょくちょく往復しています。

この仕事のために地元を離れ、外国の地へ引っ越すとき
「今度いつ会えるのだろう ね」と涙ながらに別れた友人達。
私自身を含め、誰もこんなに頻繁に帰ってくるとは
予想してなかったようです。

毎月のように地元に帰ってくる私に、最近は「また帰ってきたの?」
「帰って来過ぎ」「本当はどこに住んでいるの?」「あの時の涙を返 せ!」
となかなか歓迎されなくなってしまいました。
友人達からすると、何時間も時差のある外国から頻繁に帰ってくる
感覚がなかなか理解出来ない点もあるのですが、
 「また来月もすぐ帰ってくるんでしょ?」というように、
いつでも会える人のようになってしまったようです。

しかしほとんどのお客様は昔私がそうであったように、
こつこつと大金を貯金し、 長い休みを確保し、遠い外国の地へと
やって来られているのです。つまり、大抵の方にとっては、
私のフライトに乗っておられること自体が人生の一大事なのです。
「今回は〜を〜日間旅行するんです」と興奮気味に話をして下さる方、
たくさんのガイドブックを広げて熱心に研究している方、
乗っている飛行機について尋ねられる方、窓からの景色に
うっとりしておられる方にお会いすると、とても微笑ましくなります。

そのような一大事にご一緒出来るのは、キャビンクルーを
しているからであり、この仕事の醍醐味のひとつなのです。
やはり、海外旅行は一大事であり、地球は広いのかもしれません。


 


 

第219話キャビンクルーの秘密の安らぎの場所 -  4 Nov .2005-


国際線の長距離路線を乗務したことのある方は
勿論ご存知だとは思いますが、初めて携わった仕事が
キャビンクルーだった私には、飛行機にはびっくりするものが
存在することを知りました。

キャビンクルーは毎回この時間が来るのを
心待ちにしているのです。それというのは、クルーレスト。
  
なんと飛行機にはキャビンクルー専用の寝台室があるのです。
機種によって異なるのですが、私が乗務している飛行機には
6〜8つ備え付けてあります。ベッドで横になって休める時間は、
乗客の数やパーサーによって異なりますが、キャビンのクルーを
二つ、もしくは三つのグループに分けて、交互に大体2時間半から
3時間ほど横になって眠ることが出来るのです。

クルーレストでの食事は禁止されていますが、一人一人の
ベッドでの時間は自由に使えます。勿論ほとんどのキャビンクルーが
眠っているため、静かに音を立てないのは鉄則ですが。。。。
雑誌を横になって読む人、音楽を聞く人、きちんとお化粧を落として
お肌の手入れに精を出す人、いびきをかいて熟睡する人(笑)などなど。。。。

また、クルーレストでの格好も人それぞれ。
女性のキャビンクルーで髪を結んでいる人は大抵髪の毛をほどきます。
一分でも眠りたいから、と制服のままの人、パジャマ姿の人、
Tシャツとズボンの人、そしてこれは大抵ウェスタンキャビンクルーですが、
下着姿の人などなど。。。。

皆ぞろぞろとクルーレストにやって来て、暗闇の中で
男女共に着替え、各々自分のベッドへと入り込み、
カーテンを閉め、一人の至福の世界へと入っていくのです。

バイブレーションの目覚まし時計がブーブーと鳴り、
無視してこのまま眠っていたいという衝動にかられるのを
ぐっと我慢して起き上がり、次にクルーレストにやってくる
キャビンクルーのためにベッドを整えます。

この休憩の後は、髪の毛を振り乱し、誰からも声がかけ
られないように下を向いて急いでトイレに駆け込みます。
お化粧と髪の毛をあっという間に元の姿に戻してキャビンに現れます。
毎回ほとんど熟睡出来る私は、最初は少し寝ぼけながらも、
さわやかに回復して仕事を続けることが出来ます。

この仕事を続けるのに重要なのはやはり、体力とどこででも
すぐに熟睡出来ることだな、と思います。  もし今後、国際線の
長距離路線に乗る機会があったら、キャビンが暗くなった後の
キャビンクルーをよく見てみてください。
きっと嬉しそうにしながら、鞄を抱え「おやすみなさい」と
言って消えていくキャビンクルーを目にする機会があるはずです。

その時こそがクルーが最も楽しみにしている時であり、
至福の時間でもあったりするのです。
 

 


 

第220話それでも・・・ -  10 Nov .2005-


私は大学時代ファミリーレストランで
ウェイトレスのアルバイトをしていました。

その間に様々なお客様に出会いました。
手紙を頂いたり、子供から絵を頂いたり、
リピーターになってくださったりと良い思い出もあります。

しかし、それと同時にどなられたり、酔っ払いに
からまれたりと泣きそうになったこともあり、怖い経験もしました。
しかし、私は信じていました。

「飛行機に乗られる方はみんなイイヒトだ」と。

しかし、某国内線の航空会社でキャビンクルーを
している先輩曰く

「乗客なんてファミリーレストランに来るお客さんと同じよ。」

まさか?!あり得ない!!
それに、私が乗務するのは国際線。
みんな外国の土地への期待に胸を膨らませたイイヒト達に違いないわ!!

実際に国際線に乗務して1年間、何千人というお客様に
お会いしてきました。一体どのようなお客様にお会いして
きたと思われますか?幾つか例を挙げてみましょう。


1 ご高齢の旅行団体

まるで若かった頃の学生時代を思い出したかのように、
沢山の荷物(おやつ)を持ち込んで、はしゃぎながら乗ってこられます。
仲良しの女子学生のように、同じ料理を注文し、同じ免税品を
ご購入なさいます。

私達としても、一人でも多くのお客様に最も食べたいと
思うものを召し上がって頂きたい、一番欲しいと思うものを
購入していただきたいと心から願っているのです。
しかし残念ながらお料理にしても、免税品にしても
数に限りがあります。なんせ空の上ですから、
隣の飛行機からお借りするという訳にもいかず・・・

「大変申し訳ございませんが○○は大変人気のある
商品の為全て出てしまいお出しすることが出来ません」

「さっきまであったじゃない!隣の人にまであって、私には
無いなんてひどいじゃないの!」

「大変申し訳ありません」

「はぁあ、信じられない(怒)!!」

はぁ、でも、仕方が無いじゃない!ないものはないんだってば!


2 酔っ払い

時々「お酒はタダ?」と尋ねられることがあります。
「さようでございます」とにっこり笑うと、しめたとばかりに
お酒を注文し続け始める方がいらっしゃいます。

しかし私達はどのお客様がどれ程のお酒を
摂取しているのかを把握してなくてはなりません。

「お客様、少し飲み過ぎかと思われます。
 これ以上お酒はお出しすることは出来ません」

「私は全然酔ってなんかない!」

と顔を真っ赤にしておっしゃいます。
しかし、大抵酔っ払うとそのように言うものです。

一度お酒を断られると「まだ一杯目なんだけど、お替りもらえる?」
と他のキャビンクルーに嘘をついて飲もうとしたり、それでも駄目となると、
誰も見ていない隙を狙って、お酒の入ったカートを勝手に開けて
お酒を飲んでいた方を発見したこともあります。

飛行機の中でのお酒が特別なのも分かりますが、
もう少し分別をわきまえて頂きたいと思う時もあります。


3 ・・・・・

キャビンクルーがお客様と向かい合わせになって
座るジャンプシートという席に座っている際、ご夫婦が
離陸・着陸の時、お休み中に手を繋いでる光景を時々拝見します。

このような仲良し夫婦を目にすると微笑ましくなるものです。
しかし、暗くなったキャビンで抱き合っているカップル。
サービスの為に声をお掛けしていいものか少しためらってしまいます。
また、ギャレーでキスしているカップル。
その横をトイレ掃除用具を持ちながら道を譲ってもらわ
なくてはなりません。
そして、片っ端から女性をくどきまわる方・・・・

皆さま、どうぞこのような
ことは、飛行機を降りてからでお願いします!!


ここに挙げた例は私が出会ったほんの一部のお客様です。
機内には様々な方がいる為、それら全てを取り上げる訳にはいきませんが・・・

そう、某国内線のキャビンクルーの
先輩がおっしゃっていたように
「ファミリーレストランに来るようなお客様」
がたくさんなのです。

それでも、この仕事が大好きなのです。
「またお会いできて嬉しいです」と私のことを
覚えてくださっていた方。料理を美味しそうだからと写真を撮る方。
食事を下げる際に「ごちそうさま」「美味しかった」とおっしゃってくださる方。
飛行機を降りられる際に「ありがとうございました」
「お世話になりました」と労いの言葉をかけてくださる方。

どれを取っても些細なことですが、ただそれだけで
今日も頑張ってよかった、帰りも一所懸命働こうとう
エネルギーを与えてくれます。

フライトの後、制服のままベッドに倒れこみ、
そのまま眠ったことがある程疲れたことも、
正直笑顔でいることを難しく感じたこともあります。
でも、それでも笑顔でいれるのは無理矢理なのではなく、
この仕事が好きだからなのです。

一度この業界に足を踏み入れてしまった人が、
他の航空会社を転々としているのは、
もう地上には降りることの出来ない、
飛行機の中でしか味わえないものを知って
しまったからなのだと思います。

私も体力が続く限り、世界を飛び回っていたいと思います。
4週間お付き合いどうもありがとうございました。

 




essay@crew-jp.com

 


 



NRT
( Photo by (c)Miessy )
 





第221話から第224話までの担当者紹介!


私は2000年に、某中国の半国営企業のAIR LINEに採用され、
北京に駐在しまて、北京−日本路線を主に乗務いたしました。
今はCAスクールで新たにCAになる夢をかなえる方達の
応援をしております。 ペンネームは きみ です。
宜しくお願い致します。


 

第221話大きな赤い垂れ幕に『熱烈大歓迎』という大きな文字。 -  18 Nov .2005-


初の日本人乗務員を採用ということで、現地、北京で、
テレビ、新聞に結構大きく報道されていた。

私たち日本人の12人は、日本−中国路線がドル箱路線になりつつあり、
日本人のお客様がかなり増えたことで、日本人に対するサービス向上を図ろうと、
めでたく採用され、一緒に中国に渡った。

トレーニング中も、滞在している現地のホテルにも報道の人が来る。
夜21時の中国のニュースに、私たちが出るというので、皆で見た。
TVに映った時の自分の姿を見て・・・
ヤ、ヤバイ これから、もっともっと自分を磨かないと!!と強く思った。笑 

訓練中は英語が主だが、サービスを教えて下さる中国人の
女性の先生は、かなり前に覚えた日本語を一生懸命思い出しながらなので、
日本語が相当面白く、時々、大爆笑が起こる。

小さい頃に見ていたスチュワーデス物語を思い起こしてみても、
訓練とは、厳しく、つらいものだというイメージはどこへやら、
訓練はこれほど楽しくて面白くて良いのだろうか?

とは言え、緊急訓練の時はさすがに真剣そのものであった。
実際火事が起こったとき、海に落ちた場合、モックアップ
を使った訓練はさすがに、緊張した。

そして無事訓練を終え、試験に合格し、いよいよOJTである。





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第222話ある出来事 -  24 Nov .2005-


いよいよOJTが始まる。
ファーストフライトはとても思い出深いものだ。
B-777中国人クルーの中に、私たち日本人乗務員が二人。
北京―東京の往復である。二人とも飛行機に乗務するのは
初めてである。ドキドキ!!!

この時の男性のチーフパーサーが、優しく、興奮気味の
私たちは、安心して初フライトができた。
お客様のことを考えて余裕を持ってサービス、という事は、
やはり最初は難しく、自分のことで精一杯である。
日本語のアナウンスのタイミング、離着陸もドキドキ、
お食事や機内誌のサービスも全て初めてである。
習ったことを実際にやるとなるとまた勝手が違う。

印象深かったのは、離着陸の時、私は本当にドキドキして、
ジャンプシートに座りしっかりと両脇のベルトを抱えていたのに、
周りの中国人クルーは思い思いに新聞を読むなど、
(ちなみにお客様の見えない位置)、余裕の普通の表情をしていた。
自分がそのように平然とできるまでには何回か乗務する時間が必要であった。
笑顔でいようと思ってもやはり顔も引きつり、全てにおいて、
緊張していた自分が可愛い。

仕事に大分慣れてきたころ、私たち日本人の乗務員は
一人で、中国と日本の路線を乗務するようになっていた。
北京−上海−東京便のことである。
今回の中国人チーフパーサーは以前にも一緒に
乗ったことがある人で、ニコニコと笑顔で、穏やかな、
良い人というイメージだったので、今回のフライトも楽しみであった。

今回、担当の仕事が一緒の中国人乗務員もテキパキと
仕事をこなし、とても仕事がしやすいクルーであった。
No.4パーサーも、お客さまにとても良いサービス
を心がけ、雰囲気の良いチームであった。
しかし、まだまだ中国語が片言で、新米の日本人
乗務員である私は、なめられてしまったのだ!

帰りの上海から北京の乗務中、『日本人・・・わからない』という
意味の中国語が聞こえてきた気がした。そして、免税品の
売上のポイントをごまかしているような行動が見えた。
今回一緒に仕事をしなかった年輩のフライトアテンダントも
何やら紙を見ながら話をしていた。

そばに居たNo.9のフライトアテンダントも同調している
かのように見えた。しかし言葉が全て分からず身振りなどの
行動だけを見ての判断は難しい。何なのだろう。
北京到着後、このチームから、とうとうDuty Freeの
売上分配を頂けなかった。

私はこの日、日本人や中国人のお客様にシャネルの香水、
タバコ、かなりの売上を上げたはずである。数々のお客様に
呼び止められ、楽しみながら、売っていた。
単に彼らは私への分配を忘れているだけかもしれない。
しかし良く考えてみても、やはり、私にだけ分配を渋って
その分を皆で分けていた行動だったのだ。

確実に○$の分配は頂けるはずであった。金額が問題なの
ではない、日本人である自分に対して、分からないだろうと思い、
影でこそこそした姿勢が許せなかった。
翌日、北京のオフィスに行き、片言の中国語と英語で、
この旨を説明し、どういうことなのかを問い正した。
オフィスの担当の人は、私の事情を聞いて、今回のチーム
に確認をしてみると言ってくれた。

一週間後、このチームのチーフパーサーが、直接私に、
計算を間違えていた、申し訳なかったと、謝罪し、
予想通りの売上分配金を渡してきた。日本人乗務員の
私たち全員に関わる問題で、仕事が新米並であっても、
私たちが日本人としてなめられてはいけないと、思ったのだった。
その一件以来、このような問題は無かったと思う。




 


 

第223話北京ベースの利点 -  1 Dec .2005-


ビザの関係で、私たち日本人が、日本に帰国
できるのは、当時は1年に一度だけだった。
友人の結婚式なども当然有給にぶつからなければ、
日本に帰れないので、出られなかったし、
成田空港でトンボ帰りなので、時々はホームシックに
なったりして、寂しさを感じた時もあった。

成田空港の免税店で買い物をしつつ、日本ベースの
航空会社の方たちを横目に見ながら、日本の家族に電話をしたり、
友達に電話をしたりするが、成田空港での駐機時間は
平均してわずか約40分である。あっという間に日本の時間は過ぎ、
今度は日本から北京へ行かれるお客様の、ご搭乗の挨拶の
準備をするために、機内に戻る。

とは言え、現地の北京ベースであることをかなり堪能していたと思う。
北京市内で、足ツボマッサージ・全身マッサージ、京劇、そして
美味しい食事!やはり日本よりもあらゆる物価が安いし、
タクシーももちろん日本よりかなり安く、生活レベルは相当良く、
日本では出来ない事もいろいろと楽しんでいた。

例えば、足マッサージにしても、一週間に2回も3回も通える
ことに感激していた。それに、北京はわりとホテルが発達していて、
綺麗で大きな5つ星のホテルがたくさんあり、また徐々に増えていた。
そういったホテルでの食事や、スポーツ施設なども気楽に楽しめたのも、
現地ならではだったと思う。

一方で、地元の中国人が良く行くようなところも、
最初は勇気がいったが、ドンドン開拓し、慣れていった。
飛行機で一緒に乗務した中国人クルーは、フライトの合間に、
とても親切に、あそこに行ったか?これは知っているか?
といろいろとお得な情報を教えてくれる。時には中国と
日本の歴史や、中国の文化などの話までもしてくれる。

クルーとプライベートで食事に行ったり、飲みに行ったりした
ことももちろん良くある。そのため、日本から友人や両親が
訪ねてくると、北京市内のアテンドするのはお手のものである。
安い市場に連れて行き、日本人だからと言ってなめられないように(笑)
現地流の値切り方を教えたりすると、日本から来た人たち
にとても喜ばれた。

最初に店の人から提示される値段の5分の1の値段に
なったりするので、やめられない。安くパシュミナが買えたり、
ビーズバックなども安くしてもらい、かなりの数を、買って行ったりした。
特に私の学生時代からの友人4人組が北京に遊びに来てくれた時、
故宮や万里の長城を案内した時は、4人とも普通だったのに、
買い物のときになると、皆、目の色が変わり、あっという間に
現地人化していたのが、かなり面白かった。

私はたちは、月約80時間というフライト時間に加え、
中国−日本の往復などで時差なども無く、ほとんど朝出発して
夜帰ってくるというフライトで、早くて17時には北京に戻ると
いうパターンもあった。そのためフライト帰りでも、夜は市内に
繰り出したりすることが出来、プライベートな時間は比較的多く、
自由な生活が楽しめた。

2年間の間に、万里の長城に行ったのは約15回である。
宇宙から見える建造物であり、雄大な万里の長城を見ると、
普段の悩みや、乗務であった嫌なことなどもちっぽけな事だと
感じさせられ、広い心持になれる気がする。

時には同期や後輩と、フライトを調整し、連休を合わせて
大連、西安、そして内モンゴルなど、いろいろな国内旅行
をしたことも、現地ベースならではかもしれない。
 




 


 

第224話最終章 -  15 Dec .2005-


前回までの話はとても長々と書いてしまいましたが、
おつき合いいただきまして、ありがとうございます。

最後に、思い出に残るフライトの事を書いてみたいと思います。
私自身驚いたことですが、中国本土の、この航空会社は、
パイロットが軍出身の方も多いためか、実は相当年数の
安全フライトを続けており、47年安全就航記念フライトがありました。

そのフライトに後輩と、私の日本人乗務員二人が担当となり乗務しました。
北京−大連−日本の往復で年末最後のフライトで北京空港に戻り、空港に
入るやいなや、乗務から戻ったパイロット、私達各乗務員にまでそれぞれに、
花束が次々と渡されました。その時は驚きました。
そして、本社の代表が、その場でと報道人の前で演説を始め、また次の年の
安全フライトを誓いました。その夜、皆で餃子を食べてお酒を飲み交わし、
カウントダウンをした事が思い出に残っています。

次の年に、残念ながら、韓国上空、国内での事故が立て続けに
起こってしまいまして、48年安全就航記念フライトはありませんでした。
そのため、その年の北京から、名古屋への就航初フライトに
乗務させていただき、日本人としても中国との架け橋が増えた思いで
嬉しい気持ちがあったのですが、名古屋空港での記念発表は、
いつになく静かなものでしたので、神妙な気持ちになりました。

話は変わりますが、クレームを受けた時は、自分自身の
身がしまる思いで、ありがたく意見を頂くようにしていました。
食事のこと、出発が遅れた時、それ以外にサービスに対する
クレームもやはりいくつかありました。
これも一つ一つ思い出に残るものです。

一方で、お客様から感謝の気持ちを頂いた時は本当に嬉しいものです。
飛行機が遅れている状況を逐一、誠意を持って機内アナウンスで
説明しておりましたところ、わざわざお席から離れている私のところ
まで来てくださり、『美しい日本語ですね、気持ちが和みます。
日本人として誇りです。』と言ってくださった時は本当に疲れも吹き飛びます。
後に、東京支社を通して、その方からお手紙まで頂いた時は感動でした。
年配のユネスコの重要なポストにある方でした。

また、子ども3人を連れて、中国語もほとんど分からない日本人の若い
お母様が、大連空港で降り立たれた時に、旦那様に会いに日本から
一人で来られたというのをお聞きして、私も一緒にボーディングブリッジを渡り、
空港の出口付近まで、3人の子どもさん達と手をつないで楽しく案内させて頂きました。
その後しばらくした頃に、会社を通してそのお母様から私の行為に対する感謝の
気持ちを書いて下さったお手紙を頂いたときには、一人、嬉しい涙が出てきました。

私としては乗務員として当たり前の事をしただけだったのです。
しかし、その女性は、初めての中国なのに一人で3人もお子様を連れて
飛行機に乗られて右も左も分からない空港に到着した時に、顔には
出されていませんでしたが、終始とても不安な気持ちで一杯だったことが、
その時に分かりました。そのような気持ちをわざわざ文章にされて、
感謝の気持ちを伝えて下さった事にも頭が下がる思いで、お客様の
その時の立場や状況を思う事はとても大切だという認識が深まったのです。

私の乗務もまる二年に入ろうとした時に、中国人クルーとの協調の努力が
認められて、中国の本社から、『栄誉証書』を頂いた時には、本当に嬉しい思い
で一杯でした。まさか自分が頂けるとは思ってもいませんでした。
思い返した時に、日本人のお客様をはじめ、中国人の方や他の国のお客様に
満足して頂くには、同じフライトで一緒になった中国人クルーと仲良く、
機内の雰囲気を良くし、終始笑顔でいられる自分で居ようということは
常に心がけていました。そしてサービスとは、

『その人のニーズを、その人が言葉で要求する前にくみとり、
提供させて頂く』

という事をモットーにしていた努力を認めてくれた会社にも
感謝の気持ちが沸きました。また、自分の中での目標の一つであった
日中の架け橋に少しでもなれたかな、と思うと、客室乗務員という仕事は
本当に心から楽しいという実感が沸いたことを思い出します。
 
長々としたお話に最後も付き合ってくださり、本当にありがとうございます。
現在原宿の某エアラインスクールで、客室乗務員になることを目標とする
向上心溢れる方々を応援させて頂いています。
もし宜しければ、是非私に会いに遊びに来て下さいね。
ありがとうございます。




essay@crew-jp.com

 

 


 



SIN
( Photo by (c)Miessy )
 





第225話から第228話までの担当者紹介!


この度、エッセイを担当させていただくことになりましたaki と申します。
以前、北京ベースでCAをしていた頃にも1度エッセイを担当させていただきました。

今回は、2回目の登場です。
2年半ほど前までCAとして乗務をしておりまして、
現在は某空港にて日系航空会社の地上職の仕事をしております。
前回は主にCAの話を書かせていただきましたので
今回はGHの話を中心に書かせていただこうと思います。


 

第225話中部国際空港 -  22 Dec .2005-


今年、新たに名古屋に空港が開港をしたことをご存じでしょうか?
中部地方出身の私にとって、中部国際空港が開港することを
大変楽しみにしており、幸運にもオープン初日の早番を担当
することができました。航空業界で働くものにとって、
空港開港を迎えるという貴重な体験ができ本当にうれしく思います。

開港初日は、多くのマスコミに報道をされ、大変華々しく開港を迎えました。
一方で、地上職として働いている私たちは、本当に大変な一日でしたが・・・。
まずは出勤です。中部国際空港は関西空港と同様に海を埋め立てて
できている島のような空港で、空港に行くには橋を渡るしか手段がありません。
開港初日はその橋が出勤する時間帯に通れなくなるという情報が入り、
朝4時半に常滑駅に集合し、電車で出勤するということになりました。

通常は朝6時半出勤ですので、いつもより2時間早く出勤になりました。
開港日は2月17日の真冬でしたので、本当に寒くて今でもこの日の
ことはよく覚えています。
いざ仕事が始まってみると空港は搭乗のお客様以外にも
観光客でいっぱいになり、行きたい場所に行きたくても人がいすぎて
通路をふさがれ移動するにもひと苦労をしました。

チェックインの作業も空港の端末が変わってしまい、
ボーディングパスやバゲージタグの出るタイミングがいつもと
少しずれており、思うようにチェックインができませんでした。
その結果、お客様を1時間以上もお待たせし、
多大なご迷惑をおかけするという事態になりました。
この場を借りて、ご迷惑をおかけした多くの
お客様に深くお詫びしたいと思います。

そんな空港も開港してからまもなく1年を迎えようとしています。
開港当初、観光客でにぎわっていた空港も半年を過ぎた頃から
だいぶ落ち着き、仕事もしやすくなってきました。
開港してから少しずつ便も増え、中部地方からより一層
海外へ行きやすくなったのではないでしょうか。

まだまだ成田や関空に比べると小さな地方空港にすぎません。
新聞でもよく言われておりますが、欧米路線の充実など多くの
課題が残っています。
これから中部国際空港がどのように発展していくのか大変楽しみです。
まだ、セントレアに来ていない方がいらっしゃったら是非お越しくださいね。




essay@crew-jp.com





 





再び登場のakiです。
しばらくお休みをさせていただき申し訳ございませんでした。
年末年始をはさみ、チャーター便は飛びますし、風邪は引くしで
エッセイを書けずにいました。本当に申し訳ございませんでした。
あと3回。私のエッセイにおつきあいくださいね。



 

第226話知らなかった地上職の大変さ -  20 Jan .2006-


地上職の仕事を始めてから早1年が過ぎました。
しかし、12月に入ってからは雪の影響はほとんど受けませんでしたが、
風の影響で欠航やキャンセルが続き、12月中旬に初めてテレビで
見るようなクレームをお客様から受けてしまいました。

それは12月のある日、中部国際空港発のホノルル行きの便が
欠航になってしまったときのことです。その日は風が大変強く、
どの便もメイリターン(便が戻ってくるかもしれないという条件を
付けて飛ぶこと)をかけて運行している状況でした。

名古屋に飛んでくるはずの便が強風のため、名古屋に来れず、
成田へ飛んでいってしまったのです。名古屋はベースとなる空港では
ないので駐機している飛行機が1機もなく、代わりの機材は成田や
関空から持ってくる以外用意することができません。
成田へ飛んでいった飛行機が名古屋に戻ってくることを
待つしかできませんでした。

結局、風が止まず、飛行機が戻ってくることはできませんでした。
このような状況になると思っていなかった私たちは、いつものように
チェックインをしていました。しかし、途中で成田へ飛行機が向かったと
わかったときからチェックインを中断し、お客様へ館内アナウンスを使って
事情を説明し始めました。

説明を始めていたときは、名古屋から飛行機が飛ぶ可能性が
ゼロではない言っておりましたが、結局飛ぶことができませんでした。
欠航が決まってからは、チェックインをしていたお客様に荷物を貸さなくては
ならず、またキャンセルになった後どうするかの説明をカウンターでする
ことになりました。

セントレア周辺のホテルはあいにくどこも満室で、名古屋市内の
ホテルも週末ということもあり、予約をとることができませんでした。
私たちはお客様にひたすら謝る事しかできず、お客様に多大なご迷惑を
おかけしてしまいました。

カウンターでは、お客様から罵倒されつくづくこの仕事の大変さを
身をもって知りました。
外からは華やかに見える航空業界ですが、本当に大変なお仕事です。
これから地上職を目指す皆様にも仕事の大変さをよく理解して
この業界に入ってきてくださいね。




 

第227話大雪の日 -  26 Jan .2006-


先日、名古屋は58年ぶりの大雪に見舞われました。
12月22日、戦後以来の大雪に見舞われたセントレアでは、
朝から欠航便が続きました。
入社して以来こんなに大変だったのは初めてです。

この日、私は12時過ぎの遅番の出勤でしたが、
雪のため道路が大混雑しており、通勤に2時間半
(通常は30分)もかかりました。
朝から、ニュースで便が乱れているということを知り、
会社に行くのがとても億劫になっていました。

空港に着いたのは午後3時ごろでした。
案の定、空港は大混乱しており、カウンターは、
お客様で溢れかえっていました。しかし、私が担当した
アジア系エアラインは早くからキャンセルが決まり、
お客様への対応も速やかに行われ、クレームを受ける
事は全くありませんでした。

アサインをされた仕事が順調に終わろうとしていたころ、
上司より【お客様の出国VOIDのヘルプに行って】 っと、
いわれました。出国VOIDとは、1度出国の手続きを
されたお客様の出国手続きをキャンセルすることです。
ゲートにいるといつでも逃げ出せるという理由から
朝までゲートにいられないため、出国VOIDの手続きを
しなくていけないのです。

私は、朝からディレイした便が夜キャンセルが
決まって次の日の朝便が出る事になった事を知らず、
ゲートに向かいました。
ゲートに着くとお客様がかなりご立腹されていてびっくりしました。
何も知らなかったのでお客様からの質問にも何も答える事が
できませんでした。しかも、12時間もディレイといっておきながら、
結局便がキャンセルになった理由がクルーレスト…

他社の便は天候が回復をして、どんどん出発しているのに
12時間も待たされてクルーレストのためキャンセルなんて、
お客様ではなくてもあんまりだと思いました。
私が乗務員をしていたとき、台風で欠航した事があります。
そのときもクルーレストの関係でロングディレイをした後に
便がキャンセルしました。そのときは、お客様から直接
クレームを聞かなかったのでこれほどまでにお客様へ
多大なご迷惑をおかけした事をしりませんでした。

キャンセルが決まり、出国VOIDをしなくてはと
思いましたが、そのことを話そうとお客様に近づくと
クレームの嵐。私たちの話など全く聞いてもらえず、
ひたすらお客様のクレームを聞いていました。

クレームが一段楽してお客様に出国VOIDの話しをすると、
お客様は、【あちこち連れまわされ本当に疲れた、どうせ
ここから明日便が出るのだからこれ以上動きたくない。】
この一点張りで全く動こうとはしてくれませんでした。
お客様のおっしゃる事はよくわかります。
12時間も待たされた挙句の果てが、クルーレストで
キャンセルのなのですから。

一人一人に謝罪と説明をし、出国VOIDの手続きが
はじまりました。しかし、出国VOIDに納得しないお客様が
数名おられ、夜8時から3時間ほどお客様とが話し合いが続きました。
最初のころは、お客様ですから失礼のないよう説明をしなくては
と思っていたのですが、時間が経つとこちらも疲れてきて、
はやくこの人達をゲートから連れ出さなければ私たちも帰れない…
そんな思いで必死になりました。

話し合って2時間半が経過したころ、寒さが一層増してきました。
なんといっても58年ぶりの大雪の日ですから。ここから外に
出ていただく方法がなく途方にくれていたころ、カウンターで毛布を
配っているという情報が入ってきました。このことを説明すれば、
ここからお客様の出国VOIDの手続きができる、そう思い神にも
すがる思いでお客様に説明をしました。

ですが、なかなか納得してくださらず、説明ではなく何度も何度も
頼み込むような形でお客様へ出国VOIDの手続きを了解していただきました。
このときすでに日付は変わっていました。
ニュースでご存知の方は多いと思いますが、この大雪の日は、
多くのお客様が空港のロビーや床で寝る羽目となりました。
本当にお客様にとっても私たちにとっても大変な日でした。

ようやく仕事が終わり帰れると思ったのも束の間、
次の日のフライトの準備が何もできておらず、日付けが変わって
から次の日の準備に取りかかりました。
2時を過ぎたころ、上司から【あとはもういいから帰りなさい】言われ、
仕事が全部終わっていないにもかかわらず私たちは帰ることとなりました。

この日、乗務員をしていた頃は知らなかったお客様のことを多く学びました。
イレギュラー時のお客様への対応、説明の仕方、これから仕事をしていく上で
改めて日々の接客の仕方を考えさせられました。
この日学んだ事を生かし、これからも頑張っていきたいと思います




 

第228話最後のスチュワーデス受験 -  2 Feb .2006-


実は、地上職の仕事をはじめてちょうど1年が経ったころ、
数年前に通っていたスチュワーデススクールより
某航空会社の客室乗務員の推薦のお話をいただきました。

地上職の仕事は大変ですが、元々クルーをやっていたこともあり、
いつか空に戻りたいと思っていたので、すごく迷った結果受験を
させていただくことにしました。
返事をしてから試験まで1週間しかなく企業研究等何もせず、
本当に試験にただ参加させていただいたというかんじでした。

もちろん、そのような環境で合格する人もいると思うのですが、
私は、あっさり2次試験で不合格となりました。
しかし、試験に落ちたことよりもこの会社を1年前にも
受けていたのですが、1年前と何も成長していない自分に
がっかりしました。また、面接で【今の仕事で好きなところは
何ですか??】 と質問をされ、真剣に悩んでしまったのです。

私は、今の仕事好きなのかな?って。帰りの新幹線の
中でずっとこの質問が頭から離れませんでした。
試験が終わってから、成長していなかった自分、
本当にこの仕事がすきなのか…?
そんなことをずっと考えていました。
そして、1ヵ月が過ぎようとしていた頃、新聞で某ヨーロッパ系
航空会社が新規就航をするというニュースを新聞で見ました。
ずっと憧れていたヨーロッパ系エアライン、募集がでたら
すぐに応募したいと思いました。

そのまた1ヵ月後に友人と京都に旅行に行く機会がありました。
京都にある有名なお寺はご存知でしょうか?
なんでも願いが叶うという鈴虫寺。
私は、そこに行って迷うことなく
【某ヨーロッパ系航空会社の客室乗務員になれますように】
とお願いしました。

これが、よかったのかどうかわかりませんが、なんと
次の日に募集が出たのです。年齢的にもこれが最後の
チャンスかもしれない….募集要項を見てすぐに履歴書
を作成し、応募しました。
お地蔵様が下さった、最後のチャンス。
絶対に、客室乗務員に戻りたい…私は、その一心ですぐに
プライベートで英語を習い、試験に向けて英語の猛勉強が始まりました。

1次試験では、本当にきれいな人が多く圧倒されてしまいました。
更に、皆さん英語も本当にお上手で、もしかしたらだめかもしれない…
そんな気持ちいっぱいでした。また、今まで受けた試験の中で
一番緊張した試験でもありました。緊張のあまり、志望動機は
考えていたことの5分の1しか言えず、【御社の記事を新聞でみて、
新規就航を一緒に盛り上げたい、そう思い志望いたしました。】
このひと言しかいえませんでした。

本当に憧れエアラインだったので…緊張しすぎてこの想い伝えるのが
精一杯でした。1次面接で一緒に受験した方々のレベルの高さに、
絶対に不合格だと思っていましたが、1週間後ぐらいに1次試験通過の
連絡をいただきました。私は、本当に本当にうれしくて、
まだ1次試験が通ったばかりなのに、泣き崩れてしまいました。

絶対に合格してみせる!! そんなに気持ちがいっそう強くなり、
プライベートレッスンも最終試験に向けて回数を増やしました。
通勤時間もずっと英語のCDを聞き、仕事中でも積極的に
外国人のお客様を接客するようにし、英語になれるように
心がけました。

また、最終試験に近くづくにつれ、不安でいっぱいにもなりました。
1次試験のときのほかの受験者の方の英語のレベルの高さ、
きっと落ちてしまう、どうしよう…不安で不安で押しつぶされそうでした。
そんなとき彼が、【神様にお祈りしに行こう】といってくれたのです。
私は、必死でお祈りしました。また、
【英語ができなくたって自信を持って臨めばいい、
胸を張って面接を受ければいいんだよ】といってくれました。

プライベートレッスンで一生懸命勉強し、やるだけのことはやったんだ、
そう思えるようになりました。最終面接では、緊張もしましたが、
やるだけのことはやったという思いから、後悔だけはしないように
自分の気持ちをきちんと話そう…不安だった気持ちはなくなり、
とても落ち着いて試験を受ける事ができました。

試験が無事に終わり、ホッとしていましたが、なかなか結果が来ず
また不安な日々が続きました。そんな日々が2週間ほど続き、
もうだめかもしれない…そんな気持ちになったある朝、
そうだ、もう1度神様にお願いしに行ってみようと思いました。

起きて、化粧もせず着替えて車に飛び乗り、1時間かけて
神様にお願いをしにいきました。必死の思いが通じたのか
なんと次の日の朝内定の連絡をいただきました。
本当に本当に信じられませんでした。英語圏に留学もしたことが
ない英語が苦手な私がヨーロッパ系に合格できるなんて…

神様とお地蔵様が下さった素敵なプレゼント、
再び客室乗務員に戻れる日がくるなんて、
しかも憧れてたエアライン。
ずっと戻りたっかた客室乗務員。
客室乗務員をやめてから2年半。
この2年半の間に違う角度から航空業界を知り、
いろんなことを学びました。学んだ多くのことを生かし、
多くのお客様のために、再び頑張りたいと思います。

4回のエッセイを読んでくださってありがとうございました。
CA,GH、航空業界を目指している方、本当にたくさん
いらっしゃると思います。私は、きれいでもなく英語もできません、
でも、なりたい一心でここまで来れたのだ思います。
なりたいという思いが一番大切です。チャンスはたくさんあります、
私のようにあきらめず頑張ってください。心から応援しています。




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