= 第36話から第39話までの担当クルー紹介 =
国内系の航空会社、成田ベースのJunです。
ここのエッセイに書かれている色んな会社の諸先輩方と比べると、
勤めて4年、まだまだひよっこといった所でしょうか。
どうかよろしくお願いいたします。
第36話
「通らざるをえない通過点・・」
- 11 Oct.2001-
これは世間でもたれているイメージとは違うかもしれない・・・
この仕事についてから、フライトになれるまで
何度となく思ったことがあります。
そんな私は既卒2年目で国内系の航空会社を受験しましたが、
当時は典型的なイメージ先行型。
飛行機に乗ったときのスチュワーデスさんの穏やかな仕事振りから、
きっとそういう穏やかな所なんだろうな、と思って入ったのが
大きな間違いと気づいたのは、試験に合格して会社に入って
すぐの訓練所時代でした。
楽しかったかもしれないけど、もう2度とあのときに
戻りたくはない、というのが訓練所時代です。
訓練は3ヶ月近くあって、前半で保安の知識と
その行動化を徹底的に叩き込まれます。
まず、航空関係、機体に関する様々な授業を受け、
その後当然のようにテストがあります。
それも80点以下で赤点、再テスト。
その後、モックアップといわれる飛行機そのままの
訓練教室で、教官の鋭い目に試されながら
それぞれのイレギュラー発生時に合わせた対応をするという
これまたテストがあります。
これがまた厳しく、「完璧。」と認められるまで
何度も何度もテストの繰り返し。
大学受験の時だってこんなに真剣に勉強したかなあ、
と思うほど、毎日重いテキストを肩に下げ、必死に勉強、
友達と居残って練習を重ねたものでした。
スチュワーデス物語を私は見たことがないのですが、
「汗と涙」というのはなんてぴったりな表現!
ほとんどの子が一度は涙を流す、
それが訓練所でした。
でも、つらければつらいほど喜びも倍になりますよね。
保安に関する厳しい授業からサービス中心の授業に差し掛かるころ、
そのころになって漸く、初めて!制服に袖を通す時がやってきました。
今でこそ仕事のたびに普通にきる制服ですが、
あの当時は「漸くここまできた!!」と本当に大感激。
みんなでぱちぱちと初制服の写真を撮り合ったものでした。
普段は厳しい顔の教官たちも、このときばかりは
浮かれる私達に釘をさしながらも笑顔笑顔。
その翌日からは、私服を改め制服を着ての授業になります。
それからのサービスの授業では、保安のように
「これが正しい」といったことはなく、特にマニュアルがある
わけではなく、個人個人がどのようにお客様と接していくのか、
教官たちは一人一人の方法を見ながら
それぞれの個性を伸ばしていこう、
というそんな指導をしてくれました。
今から思うと本当にあっという間でしたが、
本当は、熱くて苦しくて長くて、でも皆一緒だからがんばれる、
そんな訓練所時代。 あの苦しかった時代を一緒に過ごした、
というだけで、同期生は今でもいい仲間です。
もしかすると今まさに訓練中、いや、これから訓練に入る、
という方がいるかもしれませんね。
あそこは、みんなが通らざるをえなかった通過点です。
だから、がんばって下さいね。
出てからあのつらーい経験を一緒の
思い出として共有しましょう(笑)。
次回へつづく。。。。
(来週更新予定です)
第37話
「ステイ先の過ごし方」
- 11 Oct.2001-
この仕事を始めてからよく友人に
「時差ぼけにならないの?」と聞かれます。
今回は、時差ぼけまでは行かないものの、
時差のきつさを身にしみて感じる
アメリカステイについてお話します。
私達の会社では、アメリカにフライトをすると、
日本を昼に出てアメリカに朝到着することになります。
10時間以上のフライトをして、丸1日近く起き続けて仕事をして、
日本時間では真夜中というのにアメリカは朝なのです。
到着日を含めて丸2日を現地で過ごすことになりますが、
流石に着いた日ばかりは死んだように眠りこけます。
でも、人間には眠れるといっても限界があり・・・
よほど疲れているときでない限りは
寝ても12時間ほどで目がさめます。
時計を見ると、よーく寝たのに時計は夜の12時前。
それから朝までもう一度寝なおそうと思っても
寝すぎでそううまくはいきません。
どうがんばっても真夜中の5・6時間を
孤独に過ごすことになります。
日本語の移らないテレビの部屋で、
深夜ゆえにあまり興味引かれるTV番組もやっていない中
(うまく週末のステイだと面白い映画をやってたりします)、
真夜中なので同じホテルの同僚の誰にも電話をかけれず、
ひとりで過ごさざるを得ない長い時間。
初めてのフライトの時は、それがどうしようも
ないくらい長く感じられたものでした。
この孤独に耐えられない、といって辞めていった人もいるそうです。
けれど、回数を重ねれば人間慣れるもの。
この真夜中の時間をひとそれぞれ色んな過ごし方をしています。
大概は持ってきた雑誌や本を読んでいるのですが、
ソムリエやチーズなどの資格試験の勉強に充てる人や、
日本にいる彼や友達に電話をかけたり、ネットサーフィンにはまったり、
通信教育の勉強時間にする人がいたり・・。
最近聞いた面白どころでは、たまった家計簿をつける人、
占いにはまってステイ先の時間に集中して手相研究にふける人や、
スーツケースにレンタルコミックで借りてきたコミックシリーズを
詰め込んでステイ中に1シリーズを読破してしまう人、
世界中のステイ先にいる会社仲間とチャット・・、
冬が近くなると毛糸を詰め込んでセーターを
ひたすら編む人などなど・・・
みんな色んな時間の過ごし方をしています。
そうそう、年の暮れになると誰にも邪魔されずに
年賀状を書くことが出来る絶好のチャンスのため、
わざわざスーツケースに筆やハンコ、
住所録をつめていったこともあります。
今では、4年前あれほど長く感じられた一人の時間が、
今では何をやろう、何を持っていこうと毎回考えるのが、
私にとってアメリカステイ先の密かな楽しみのひとつになっています。
次回へつづく。。。。
(来週更新予定です)
第38話
「この仕事は大変!?」
- 18 Oct.2001-
よく「仕事が大変そうね」といわれます。
確かに体力的には大変です。
けれど、本当に全部が全部大変でしょうか。
前職と比較してCAとして働くほうが大変、
という人は、実は私の周りには余りいません。
じゃあ、他の仕事と比べてどういいの?
という点を実生活面から少しあげてみます。
@毎日早起きしなくてもいい。
A仕事にメリハリがある。
B世界が広がる。
C友達がたくさんできる。
D仕事で運動不足を解消できる。
まず@。
もちろん、早起きをするときは半端じゃなく、
3時台4時台というレベルで早く起きなくてはいけませんが、
毎日はしなくてもOK!
むしろ、早起きを強いられるのは多くても週2回、
少ないときは月に1・2回でOK、
というのは慣れると後戻りできないくらい快適です。
A仕事にメリハリがある、というのが二つ目。
飛行機の中が職場、飛行機の中で働くのがメイン、
ということは、飛行機に乗ってON、降りてOFF、と
ONとOFFのメリハリが異常なまでについている、ということ。
もちろん、知識面で飛行機以外で覚えることや
チェックすることはたくさんありますが・・・。
Bこれは物理的にも精神的にも。
実際色々な所にいって色んな物を自分の目で見る、
というのは貴重な体験だと思いますし、
機内でお会いする色々なお客様とお話をしたり
観察したりすることで、色々な刺激を受けます。
同世代の方はもちろん、子供連れのお母さん、
年配の素敵なご夫婦などなど
「素敵だなあ」と思える方にたくさん出会う
機会があるのは嬉しいことです。
もちろん、・・・逆もありますが。
C同期だけでも何百人。ベース全体で千人以上・・・。
毎回のフライトで同じ会社なのに会ったこともない
人たちと一緒に仕事をします。
しかも、私達の仕事はチームワークが大切であるため、
同期同士がライバルになったり・・・ということはなく、
仕事上で関係に緊張感が入ることはあまりありません。
D毎回のフライトに万歩計を携行する友人いわく、
1フライトをすると最低1万歩、歩きます。
飛行機の端から端までは遠いですが、
自転車など使えるわけもなく、
いつも徒歩での移動です。
でも健康に良くても、機内の湿度は
砂漠以下のため美容には最悪です。
ただし肌のレベルが低下する分は、
化粧技術の向上で補えるかもしれません(?)。
そして、もうひとつ。
色んな友人と話して一致したのがこれ!
「嫌な上司(いたとしたら・・)と毎日顔を合わせなくてすむ。」
これは以外に重要です。
社会人生活を既に数年送っている
何人かの友人に指摘されたことですが、
これにはとてもストレスがたまります。
でもCAだと、同じグループに属さない限りは、
14・5時間一緒して往復をして日本に帰ってくると、
その次はいつ一緒になるか分かりません。
書きながら「あらあら、私目一杯楽しんでるわ」と
思わず笑ってしまいました。まだまだありますが、
きりがないのでこの辺で。
次回へつづく。。。。
(来週更新予定です)
第39話
「リマ!?」
- 26 Oct.2001-
いよいよ今回で最後になりました。
今回は笑えるようで笑えない(私達にとっては!)裏話を2つ。
私達の職場はほとんど女ばかり。
成田ベースだけで2000人近くの人が在籍しています。
女ばかり、で意外に大変なのが名前を覚えること。
どんなにフライトをしても毎回初めて一緒する人が
いるような環境では人の名前を覚えるのも一苦労。
というより、何度か一緒に仕事をしない限りは
顔も名前も覚えられません。
結婚すると殆どの女性は夫方へと名前を変えます。
ということは、折角名前を覚えても、名前を覚えても
結婚すると変わってしまって、結局名前を見ても誰だか分からない、
ということになってしまうということになります。
しかも・・・。名前が変わるのは結婚したときとは
限らないのが問題で、名前が変わったことに気づいても
安易にその話題に触れないのが私達の
中での暗黙の了解です。(しかも結構な率なのです)
早く夫婦別姓の時代がきて職場では結婚しようがしまいが
名前が変わらないようになってほしい・・・
そう思っている人はきっと少なくはないはず?!
どんな職場にもこわーい人はいますが、
女だけの職場だと尚更。
数が少ないもの、その質は結構怖かったりします。
切れると恐い、切れなくても恐い一部のそういう人たちを
私達は「リマークス」略して「リマ」と呼んでいます。
その情報の回り方は悪事千里を走るの如くで、
知名度の高い(=恐い)リマほど情報は早く流れます。
フライトリストにリマの名前を見つけると、
情報収集に奔走する人は勿論たくさんいます。
「リマ帳」なるものを作っている人もいて、
それには傾向と対策的なこともかかれているというから面白い。
一緒にフライトをするのにはかなり気合が入ります・・・。
みんなの噂になるリマってすごいと思いませんか?
リマの話題は、ある意味で私達の共通語、
共通認識となっていて、それで連帯感が生まれたり
するので意外に大切な存在なのかも、と思います。
運良く?一緒に仕事をしたことがないからかもしれませんが・・・。
これまでの4回4週間、とりとめのないお話に
お付き合い戴いてありがとうございました。
フライトには直接関係のないことばかりを
読んでいただけていればとても嬉しいことです
( Photo by (c)Chiaki )
= 第40話から第44話までの担当クルー紹介 =
はじめまして。某外資系航空会社で
クルーをしている、タマオです。
性別は女性、スタートは遅く29歳からで、
今でも、乗務歴1年とちょこっとです。
クルーになってから知ったことなどを
中心に書ければいいな、と思ってます。
どうぞよろしくお願いいたします。
第40話
「機内の雑音にまつわるお話し…」
- 1 Nov.2001-
第41話
「アイコンタクト」
- 9 Nov.2001-
今から、一年ちょっと前の、私がクルーとして乗務し始めた時は
よく言われていることですが、
機内は飛行中に騒音が意外にあり、
声がよく聞こえないことがあります。
「ビールとミルクを聞きまちがえる」
なんて聞いたことがありますが、まだ私自身は
その場面に遭遇したことはないですね〜。
でも、ありえなくはないだろうな、と思えるほど、
機内は思っている以上にエンジン音や
風を切る音などがします。
私の会社ではお食事の後、
「コーヒー、紅茶、日本茶はいかがですか?」と
温かいお飲み物をお出しするのですが、
この3つは、普段は気づかないけれど、機内では
よく似ている言葉だなぁ・・と私は思ってしまいます。
といっても日本語でサービスをする時なんですが。
日本語はあまり口を動かさないので、
よく注意しないと似通いすぎて、
私は何度も聞き返すことになってしまいます。
ああ、お客さんごめんなさい〜!
最近では口の動きをしっかり見つめ、
特に語尾の動きに注目するようにしているので、
読唇術が身に付きつつあるような気がします^^。
やはり、声が聞こえづらいのはお客様も一緒のようです。
お食事のチョイスをお聞きする時、例えば
「お肉とお魚、どちらがよろしいですか?」
と、お聞きしたのに、時々、
「じゃ、それで。」
と、お答えになるお客様がいらっしゃるので(笑)。
そういう時は、(やっぱり機内は聞こえづらいんだワ〜、ゴメンネ)
と心で謝り(しかし、この応対もよく考えるとオカシイ〜)
と心でおかしがりながら、「では、お食事に、お肉!とお魚!
と、どちらを差し上げましょ〜か?」と自然、
満面の笑みでもいちどお聞きしています。
お客様にごあいさつしても、あんまり反応がないことがあったりして、
すこーし気になるな〜、という時が実はたまにありました。
でも、最近は、年配の日本人のお客様や、○国人のお客様はもちろん、
どんな人でも、割合みなさんあいさつし返してくれたりして、
気持ちが楽しくなってきます。
キャッチボール、というか、いい気持ちが行って返ってくるというのは、
それだけでいいものだなぁ、と、こんなに単純なことなのに、
とても大切なんだな、って毎回感じます。
あと、アイコンタクトも心を通わせるいいものだったりするんですよん。
周りの○国人と働いたり、いろんな国のお客様と接する間に、
学んだことの一つです。
目って、思いのほか、表情が出るのですよね。
目があった時に、ちょっと目で、“こんにちは!”っていう気持ちで
微笑むだけで、向こうも“にっ!”って笑ってくれたりして・・。
たまに、ウィンクしあったりも。
言葉を交わさなくても、それだけで、その人と、気持ちが近くなる。
“Break the ice”というか、アイコンタクトだけで、
心を通わすこともできる。
それほどに大きな、目の多弁さ。
みなさんも、目でも会話してみてくださいね?!
きっと言葉でと同じくらい世界がひろがりますヨ。
次回へつづく。。。。
(来週更新予定です)
第42話
「機内のブレイク」
- 15 Nov.2001-
私の勤めている会社では、
ミールサービスの合間の数時間を二つに割り、
2交代で、いわゆるバンク、という秘密の
お部屋にいって、休憩(ブレイク)をとります。
半分のクルーがブレイクに行っている間、
オンデューティのクルーは、キャビンを担当
しているんですよね。
私は、クルーになろうと思ったのは20代後半
と大変遅かったのですが、映画上映中に
そんなことをクルーの人達がしているなんて、
受験を考えるまで機内で全く気づきませんでした。
なので、バンクはどんなところなんだろう?!
ととても興味がありました。
初めて足を踏み入れたのは、訓練中、
機庫にはいっている飛行機に実際入って
空っぽの機内のを見学した時でした。
飛行機大好きな私でしたが、ギャレイより、
ファーストクラスのキャビンより、フライトデッキよりも、
バンクに興味津々でした。
が、そこは、かがまないと頭がついてしまうような
天井の低い、小さな2段ベッドの4つ並ぶ小さな部屋でした。
あまりにシンプルで肩すかし。
ですが同期に頼んでしっかり記念撮影。
実は、この部屋が上空ではけっこう寒く、
そしてエンジン音がとても大きな部屋なのです。
耳栓、湯たんぽ、温かいパジャマを持って
ブレイクに行く人も多いです。
時間になるまで、これらをギャレイに用意して、
時間になったらものすごい速さでバンクに向かう人、
時には時間前にすでに向かう人もいます^^。
着替える際も、1分も無駄にしたくないのか、
男女ともにあまり人目を気にせず、バンバン脱いで
バンバン着替えてさっさとベッドに向かいます。
人によっては、脱いだだけで向かう人もいます。
寒がりの私には、とてもそんな真似できませんけど・・。
なので、ジュニアの私など、先輩に引継ぎなどしたあと、
もたもたバンクに着いた時には、
すでにバンク内の着替えスペースに人影はなく、
ベッドの方へ行くと真っ暗で、手探りで空いているベッドを
探し当てたりすることも少なくありません。
よく人に触ってしまうんです、この時。
バンクで眠れない人も心配することありません。
エコノミーと同じシートが4つ用意してあり、
そこで本などを読んでリラックスすることもできます。
時間になると、クルーがジュース、紅茶、おしぼりや、
時にはビスケットなども用意して起こしに来てくれます。
早めに戻っていたい時(身支度など)以外、
疲れてたっぷり寝ておきたい時などは、
このクルーが起こしに来てくれるまで
こんこんと眠り続けます。
でも、私あまり眠れないのです・・・
なんとかならないかな、って思ってるんですけれど。
次回へつづく。。。。
(来週更新予定です)
第43話
「エマージェンシー訓練」
- 22 Nov.2001-
恐怖のエマージェンシー訓練はたいてい1年に一度、
リフレッシュ訓練がどこの会社でも行われているようです。
私もこのあいだ、はじめてのリフレッシュ訓練を受けましたが、
なにより、入社時の訓練は大変プレッシャーの高いものでした。
あの1週間はほんとにつらかったです・・。
どんなにこの訓練が大切なのか痛いほどわかっているので、
自分でもしっかりと身につけたいという内なる気持ちと、
インストラクターの要求する高度なパフォーマンス・・。
また毎翌日のテストでは、ある一定の点数以上得点しないと
不合格なので、それこそ、毎日夜中2時3時まで勉強です。
私の会社では、エマージェンシー訓練では
大きく分けてメディカルと機材とがあります。
メディカルでは身体の器官の名前、
そして病気の諸症状・手当ての方法などを学びます。
そして機内に搭載されている医療器具や薬品の名前や使い方、
そして、心配蘇生法(対:大人・子供・乳児)や、
心臓への電気ショック機(と訳せばよいのでしょうか)の
使用法なども取得します。
また飛行機の機材についても、
膨大な量の知識を詰めこんでゆきます。
メディカル・機材とも、全く初めて見る単語がたくさんある上、
授業中も○国人と同じクラスで同じペースで進むなか、
わからない点はもちろん質問しクリアにして
先に進まなくてはなりません。
メディカル・機材どちらも、筆記と実技があります。
筆記は、マニュアルを読みこむ合間に同期同士で
問題を出し合ったり、また、同期で語呂合せ作りの
得意な人がいて助けられたりして、
なんどもなんども勉強しあいました。
実技試験の前夜は、これまた同期で
宿泊先のホテルのロビーに集まって
一人一人役を変え、シチュエーションを変え、
すべての事態を完璧にできるよう、
夜12時くらいまでやりました。
即時緊急着陸、数分後に緊急着陸の場合、
即時緊急着水、数分後に緊急着水の場合、
火事の対処、機内の気圧が下がった場合・・。
決められた無駄のない手順をよどみなく、
抜かすことなく、しかも、○国語で、というのは、
二つのステップがあるので、想像以上に大変でした。
まず、頭で体で覚え、
そして、○国語で口に出す、
というステップです
その後、部屋に戻り、こんどはドアの開ける時の
手順の練習を、一人ぶつぶつ言いながら、
体に染み込むまで繰り返し繰り返し、やりました。
きっと、私、端から見たらヘンな人だ・・と思いつつも必死で^^。
というのは、安全にドアを開き、避難スライドを膨らませて
避難させる間にも危険があるからです。
実技テスト当日。
キャプテン役のインストラクターが、
“これより水上に着水します・・!”とアナウンスしました。
つまり、これにより、即時緊急着水なのだ!と判断します。
ドアを守っている役の私は、乗客役クラスメイトに向かって、
“体を突っ張って!頭を下げて!”と、
叫ぶのではなく大声で伝えます。
これは機体が完全に停止した、という時まで、
大声で言いつづけるのです。
停止したら、着水の場合は特にただちに、
自分の担当の客室の乗客を即時に
避難誘導しなくてはなりません。
こういう判断も全て行わなくてはなりません。
“シートベルトを外して!救命胴衣をつかんで!
こちらに避難しなさい!!!”と言いつづけつつ、
毎晩部屋で練習したドア開閉の手順を同時進行で進めます。
この場合は着水なので避難いかだ
(ただし切り離すまでは避難スライドと同じもの)が
完全に膨らんだのを確認してから、
ドアに突進してきた乗客を機外に避難させます。
そして懐中電灯で担当客室内を点検して、
“○○(自分の名前)、避難完了!”と
同僚クルーに聞こえるよう(自分を探しに来ないよう)
言いながら自分も脱出しました・・。
ここまで言い、自分も機体模型の外に飛び出した瞬間、
緊張の糸が切れて、考えるよりも先に
涙がどーどー出てしまいました・・。
これで一番難関の機材の実技テストが無事終了でした。
全ての訓練が終わり全員の合格が決まった日、
クラスメイト全員で綺麗な夕日を見ながら
川のわきのバーのテラスであげた祝杯は、
とーっても美味しくて、充実感とともに、
ほんとに体にしみわたるようでした・・☆
次回へつづく。。。。
(今回は特別にもう1週分あるよ!)
第44話
「クルーになるまで・・・」
- 29 Nov.2001-
私がクルーになったのは、30歳まで
あと数ヶ月、という29歳の時でした。
なろう!と思ったのは、あと少しで27歳、という頃。
それまで、一度もクルーになろうと思ったことが
なかったので、募集を待つようになって、
その前の数年間にたくさん募集があった事実を知って、
あ〜、もっと早く思いついていたら…と思ったものでした。
のんびり屋なので、大学時代はサークルというより
ほとんど部活のようなクラブ活動に没頭するばかりで、
就職活動の時期が来ても、いったい何をしたいのか、
強く希望するものはありませんでした。
でも、ぼんやりと、外国と関わりを持つ仕事だといいな、
と思っていたので、それなら!となぜか海運を中心に
就職活動をしました。あとは商社を少々…。
今思えばその時、空運も考えればいいのに、
自分とは縁のないものだと頭から決めつけていた
のでしょうかナンなのでしょうか、空運は思いつかず、
ましてやクルーになろうとも思うこともなく、
航空業界には就職活動を一切しませんでした。
さて、卒業後はまったく想像しなかった金融業界の、
まさに典型的な日本の会社で働くことになりました。
でも、使いたかった英語はまったくなし。
「外来語」もありませんでした。
コンピューターは、「端末」、書類のファイリング、
とは言わず、「つづり」というのです。
今までとは違った世界の、たまたま入った会社でしたが、
チームワークと接客の経験を得ることができたと思います。
でもこれ、たいていの仕事でしらずしらずの内に
身につけているか、見方を変えれば、どの仕事にも必要とされ、
大切とされるものなのですよね。
2年半勤めた後、一度は本当に
自分が心からしたい、と思うものを
仕事にしてみたい、と思いました。
それが何なのかは決まっていませんでしたが、
逆に自分を追い詰める気持ちで会社を辞め、
自分のやりたいことを見つけることにしました。
英語を教えるアルバイトをしながら、いろんなことをやってみました。
そのうちに、自分自身が興味のあること、好きなこと、
好きなライフスタイル、などがだんだんとわかってきました。
でも、それぞれの要素がわかっても、それぞれをかなえるような、
そして、自分がほんとうにやってみたい、と思える
仕事が何かわかりません。
そんな時、学生の時の友人から、
念願の外資系の航空会社に合格した、
と連絡がありました。彼女は、以前は国内の
航空会社に勤めていましたが、学生の時から、
その会社に行きたいと言っていたので、
とうとう願いをかなえたんだ!と感動して喜び合いました。
数日たって、ふと、外資系の航空会社の
クルーの仕事というのは、
1. 外国人と一緒に働けて、
2. 英語を使うことができて、
3. チームで作業ができて、
4. 外国にも今までよりも頻繁に行くことができて、
5. 月曜日から金曜日まで、という仕事でない。
しかも、おまけとして、
6. 知らない人(お客様)に思いっきり話しかけても、
驚かれたりうとまれたりすることがない、
(日本だと知らない人とは、ちょっとした会話でも
あまりいきなりは始まらないですが、
外国人の方とはもちろん、制服を着ていると
機内では日本人の方に対してでも、
話しかけると自然にいろいろな
お話をすることができると思いますし、
仕事上、奨励されています。もちろん状況次第です)、
と、これらは私自身が勝手に求めていた要素でしたが、
思いもかけない仕事だったけれども、
私のやりたかったことだ、とふと気づきました。
自分がやりたい仕事、というのはやっと
20代後半にしてみつかったのでした。
それから、およそ2年間を経て、クルーになったのは
前に書きましたとおり29歳の時でしたが、
その受験中の2年間の時よりも、自分が打ちこめる
ものが見つからなかった、あの時の方がつらかったものでした。
もちろん、受験をしていた時も大変でした。
書類を通過したのは、応募20回くらいして、たった2回。
面接も1次までだけで、最終までいけたのは、今の会社くらいです。
受験を決めてから、英語を教えるアルバイトをやめ、
外資系の普通の会社でアシスタントをしながら、
英語を勉強しつつせっせと履歴書作りをしていました。
そして、会社では、どうしたら会社の人達や
私がアシストしている人達が気持ち良く、効率よく働けるか、
ということに常に頭を働かせるようにしました。
電話を取る時や会社への来訪者と対応するにも、
いい雰囲気で迎えられるように、私の印象がこの
会社の印象を作るかもしれない、と常に気をつけてみました。
ちょっと恥ずかしいですが、電車の中でも無表情にならないようにし、
また、座り方や立ちあがる時も、気を配るようにしてみました。
もちろん、耳には、英語のテープを聞くためのイヤホンです。
そういうことが効を奏したのかどうなのか、26歳の時に行きたい、
と思った会社に去年、合格する事ができたのでした。
今、世界が今までにない局面にあって、
航空業界もおそらく一番大変な時期で、
正直、現役で乗務している私達も明日をも知れない状態です。
しかし、募集を心待ちにしている方も大勢いらっしゃることでしょう。
その中で特に、年齢や経験のないことで不安に思って
いらっしゃる方達がいたとして、こんなのんびり屋の私でも
飛ぶことができたことをお伝えして、エールを送ることができたら、
と思い私のクルーになるまでを書いてみました。
がんばりましょうね、
私もこれからもベストを尽くしたいと思います。
( Photo by (c)Chiaki )
皆様こんにちは。今回で3回目の当番となりました
ペンネーム現役外資系FAです。
本当は私では無く別の方が担当予定でしたが、
不都合があり代役で3回エッセイを書きます。
それでは宜しくお願いします。
第45話
「あれから3ヶ月
T」
- 10 Dec.2001-
第46話
「あれから3ヶ月
U」
- 19 Dec.2001-
初めに今回のエッセイを書くに当たり
本当に不幸にして起きてしまった米国での
同時ハイジャック・テロ事件にて
肉親、友人、知人を失われてしまった方々の
心中を心よりお見舞い申し上げます。
起きてしまった2001年9月11日より
3ヶ月という時間が過ぎようとしているのですが、
今回私は現役FAの一人として
この事件について書かせて頂きます。
番組にて衝撃的な映像を目にします。
その映像というのは二機の民間旅客機が
立て続けにニューヨークで最も高いビルの
ワールド・トレード・センターに激突した瞬間でした。
「え、うそでしょ。こんな事が起こるなんて。」
私は無意識のうちに心の中でこの事件を否定しようと
必死になっていました。
今まで全く想像もし得なかった光景、
あまりにも信じがたい出来事。
「あぁ、なんて事だ。いったいどれ程の人々が
尊い命を失ってしまうのだろう?」
まるでショールームに置かれたプロモーションビデオ
のように繰り返し放送される旅客機激突の瞬間。
私はそれらの事実を現実のものとして
受け入れるのにしばらく時間がかかりました。
フライト・スケジュールを確認する為、
フライト・コントロールに電話を入れましたが、
その時点のフライト・コントロールは情報収集
の真っ最中で正確なフライト・スケジュールは
組まれていませんでした。しかし、アメリカ発着の
便は大幅なスケジュール変更が強いられており、
該当している乗務員はスケジュール確定まで
自宅待機の指示が出されていました。
私はその日、正午のシドニー便にアサインされておりましたが、
幸い私のフライトは定刻通りに出発しました。
あの日は自宅から空港へ向かう車中でもあの痛ましい
映像が頭から離れず、本当にナーバスになっていました。
更に仕事中は他の乗務員やご搭乗されたお客様の
表情からも緊張感が伺え私も内心本当に不安でした。
それでも、お客様から「このフライトは本当に大丈夫か?」
と数回尋ねられましたが努めて平静を装いました。
(次号は12月20日頃の更新です)
飛行機に乗るのが怖くなられた方も
沢山おられた事と思いますが、私達乗務員も同様でした。
特にアメリカ便への乗務にはしばらく抵抗を感じた
クルーは多く見うけられましたが、事件直後に
アメリカ便に乗務した同僚達の複雑な心境は
皆様にもご理解頂ける事と存じます。
二年前“コンピューター2000年問題”
いわゆる“Y2K”で1999年12月31日から
2000年1月1日にかけてフライトするのは
コンピューターの誤作動の可能性が否定出来ず
非常に危険という事で飛行を取り止めた
航空会社も多かった事は皆様の
ご記憶にも新しい事と存じます。
あの時私は12月31日の早朝に到着する
フライトに乗務したのですが、
「もしも、フライトがディレイして乗務が
翌日にまたがるようになったら恐いな。」
と感じていました。
今回のテロ事件の直後もあの時と同じように
飛行機に乗るのに抵抗を感じました。
ですが、時間の経過と共に少しずつ緊張感が
和らぎ自信へとつながって行きました。
「私のような立場の人間が飛行機を恐がって
いてはいけないんだ。」
自己暗示かもしれませんが、
とにかく常にそう考えるようになりました。
想像以上の大きなダメージを受けた事は周知の事実ですが、
その一方でお客様に安全で快適な空の旅を
提供させて頂く為にこの間、様々な改革を実施して参りました。
例えば、空港での保安要員の増員、機内持込
手荷物検査の強化等は直ぐに実施にされました。
又、ハイジャック対策として旅客機にFAとは別の
特別な保安要員を配備する事や操縦室から
客室内の様子がわかるようにモニターを設置し、
もしも客室内でハイジャックが起きてしまった場合は
機長の判断で最寄りの空港に緊急着陸
出来るようにする事等が検討されています。
起きてしまったわけなので、その後遺症は
長期的なものになるのは当然です。
しかしながら何時までも悲観的に
なってばかりはいられません。
事件直後は様々な配慮からスポーツの
イベントやコンサート等の人が沢山集まる
催しものが延期や中止されたり、
海外旅行のキャンセルも相次ぎましたが、
最近徐々に回復してきたように思います。
次回へつづく。。。。
(来週更新予定です)
第47話
「あれから3ヶ月
V」
- 26 Dec.2001-
そしてやるべき事は何があるだろう?」
この答えは現在置かれている状況によって
皆様異なると思いますが、私の場合は
“毎フライト毎フライトをしっかりと乗務する。”
この一言が基本になると考えています。
厳しい状況に追い込まれています。
資本主義、自由競争の世の中では需要と供給の
バランスが存在するため需要が大きく冷え込んでしまった
航空業界では倒産の危機に直面している会社も存在します。
私も明日は我が身と覚悟はしておりますが、
友人,知人でレイオフ(一時解雇)や解雇通知
を受け取った乗務員も何名かおります。
ワーク・シェアリングという方法で解雇者を出さないよう
努力している会社も存在するようですが、
悲しい事に私が所属している航空業界の現状は
誰もが倒産、解雇、レイオフの不安を抱えていると
言えるのではないでしょうか。
子供の頃からFAになる事を夢見て今まで
頑張って来た人達、ようやく就職出来る年齢に
達したと言うのに肝心の募集は一向に期待出来ず、
逆に航空会社では路線廃止や撤退、
人員縮小や解雇等の厳しい現実ばかりが
取り上げられています。
そのような方々に置かれましても今回の
事件の影響が及んでいると思います。
人員募集が盛んに行われ皆が幸せになれれば
本当にそれより素晴らしい事はないと思えますが、
その可能性は殆ど奇跡だと思えます。
そんな中、先日東京で行われた
クルーネット・ミーティングに出席した時の事です。
私のような現役業界関係者や志願者、
その他様々な方々が集まり楽しく過ごした
数時間の中で私は色々考えさせられました。
「これだけ厳しい現実の中でも前だけ向いて
一生懸命頑張っておられる方が沢山いるんだ。」
「苦しい時だからこそ、より一層頑張る必要があるんだ。
不運にして職を失ってしまった仲間の為にも、
これからFAを目指す志願者の方々の為にも。」
私のような一乗務員が出来る事には限界がありますが、
出来る事から頑張って行こうと思います。
冒頭で触れた“毎フライト毎フライトをしっかりと乗務する。”
と言うのは乗務員である以上、当り前の事のように
思われたかも知れませんが、私にとりましては様々な
過程を経て出した自分に対するエールでもあります。
エッセイをお読み頂きました利用者の皆様に
心より感謝の気持ちを申し上げます。
本当にありがとうございました。
色々と皆様の感想を聞かせて頂けたら嬉しく思います。
是非、下記まで電子メールを送って下さい。
そして、今年1年、現役FAのページを
ご利用頂きましてありがとうございました。
来年からはコーナー名が 「週刊 essay」の
コーナーに変わります。どうぞ宜しくお願いします。
それでは皆様良い新年をお迎え下さい。
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(次回は来年 1月10日の更新です!)